高橋 靖史 / アートワーク
論文 / STATEMENT
メディウムとしての彫刻
内と外、身体と空間、主体と世界
高橋 靖史
概要
本稿では思考と実践の絶え間ぬ繰り返しである私の彫刻 制作を論拠に、肉体と世界と彫刻とがどのように関係し合っているかを論述した。
肉体は主体と外界の境界であり、同時に両世界をつなぎ 合う媒体でもある。こうした肉体と世界の両義的、相互依 存的な関係を肉体と物質が直に触れ合う制作により探り、 形象化する試みが「私の彫刻」である。
まず、身体と世界の関係性を巡っての彫刻制作には、ポジショニング(位置取り)が重要である。ポジショニングとは主体と世界の接続の仕方のことであり、私という主体が身体ごと彫刻素材の中に入り制作するというポジションを取ることで、彫刻はメディウムとして機能し、身体ー彫 刻ー世界の関係を結べると考える。世界の側から彫刻を見てはいけない。彫刻を外側からオブジェクトとして見るのではなく内側から関係性として見なければならない。
つまり彫刻とは主体と世界の間に介在し素材に形をあたえる手段により両者を媒介するメディウムという事物なのである。
こうした制作のポジション、彫刻のポジションに基づいて、制作した作品から具体例として五作品を揚げて制作研究の報告をした。その全てにおいて私がめざしたのは「身体を型取った、古着、ラテックス、ギプス、段ボールなどを積層して、見るものがその中に入り内と外、身体と空間、 主体と世界を関係づける彫刻をつくること。」である。
私が<見るもの>であるかぎり、世界の中心は私の身体であり、世界はその周りに取り集められる。世界は「身体という生地で仕立てられ」、言わば身体の延長物となる。 他方、私が<見えるもの>としての身体の資格で存在するかぎり、私は世界のさまざまの<見えるもの>の中に浸り入っている。私が自分の見ている世界を自分の中に取り込むどころか、私の方こそが「世界の織目の中に取り込まれている」。
M.メルロ=ポンティ 『眼と精神』
はじめに
私たち人間は肉体を持って生まれてきたがために主体が世界と切り離されてしまった。肉体は主体と外界の境界であり、同時に両世界をつなぎ合う媒体でもある。こうした肉体と世界の両義的、相互依存的な関係を肉体と物質が直 に触れ合う制作により探り、形象化する試みが「私の彫刻」である。
身体と世界の関係性については、M.メルロ=ポンティの現象学を1970年代の欧米のアーチスト、特にミニマルアート呼ばれるアーチストたちがリチャード・セラを筆頭に作品制作に援用し形象化したことは既知のことである。1) 私もその末裔といえるかもしれないし、本論もこの問題と無関係ではない。既にアートにおける空間、身体性、知覚を廻る言説、研究や論考は数多くある。
しかし、例えばビーコンにあるDIAアートセンターやソーホーにあるジャッドの旧スタジオで最良の空間にあるミニ マリストの作品を見てみよう。現実の空間での「みる」と いう体験が、何かの表現を理解する目的のための手段として従属するのではなく、知覚体験そのものとしての「みること」の新鮮さに気づくだろう。それは知覚体験を活性化 する触媒である。ミニマリスト自身が、親である抽象表現主義絵画を反面教師として作品から物質以外の意味とか表現を排除していることから考えても、見る者は言説とは無関係に先入観を捨て裸の眼と肉体で体験を楽しむに勝る法はないはずだ。ただ庭を逍遙するれば良い。世界は見ることにより出現するのだから。
ミニマリストたちは物体と視覚の関係性をより純化して行く過程で、ハンマーを打ちおろす様な肉体の運動は他人まかせにして、次第に眼だけで見てつくる者となって行く。これは建築のやり方であろう。行き着いたのはコンセプチュアルアートである。その代表格であるソル・ルウィット がI.M.ペイの製図工であったことはあまり指摘されないが 設計士のような制作方法を我々に納得させる逸話である。2)
他方、私は見る主体であると同時に身体という物質を持 った見られる対象である。作品をつくる者である。私は完成した自作を最初に見る者ではあるが制作中は肉体でつく りながら眼で見ているのである。眼と肉体。主体としての眼と世界につながろうとする運動する肉体。彫刻とは眼と肉体の相克の中で生起するものの別称である。私の彫刻において思考と運動はワーク(制作)の名のもとに一つの床、一つの机の上で起きているのである。ミニマルアートや建 築のようにプランと実制作は分業されてはいない。よって 本論では思考と実践としての私の彫刻制作を曝しながら、 肉体と世界と彫刻とがどのように関係し合っているかを探って行く。
私のように自身で実制作するアーチストの自己 の制作についての論考は極めて少ないので、拙文ではある が幾ばくかの意義もあるかと考える。
1 制作のポジション 〜内側から〜
身体と世界の関係性を巡っての彫刻制作には、彫刻素材自体が世界の一部である物質だという認識と私という主体が肉体を通してどう物質に関わるかという態度が制作の度に繰り返しアーチストに問われるだろう。加えて私はスタ ジオの空間の中で彫刻になりつつある素材と主体の関係性、ポジショニング(位置取り)が制作において重要であると考える。西欧と日本のアートを比較してみた時、作品を作る主体であるアーティストのポジショニングが双方の空間認識に対照的な影響をもたらしていることを見逃してはな らない。つまりポジショニングとは世界を見る視点の取り 方であり、主体と世界の接続の仕方の事である。
リチャード・セラはインタビューの中で1970年の6週間の京都滞在中に訪ねた禅寺の庭が彼の彫刻に重要な影響を与えた事に触れ、次のように語っている。「庭の配置は、時間の知覚的な法則、瞑想、動きに基づいている。この空間概念は私たち西欧の概念とは根本的に異なる。西欧の空間概念では、一点透視法に基づき全てのオブジェクトを静止した見る者の眼から放射線状に配置させている。禅寺の庭では、方角、連続性、小道が一体となって一つの固定した物差しを否定する。」3) さらに、評論家マーク・テイラ ーはリチャード・セラの作品について、禅寺の庭の影響を 指摘する中でこう述べている。「日本と西欧の庭園における明確な違いの一つは、西欧の庭は壁に掛けられた絵や台 座の上の彫刻のように距離を持って眺められるのを意図しているが、日本の庭はその中を通り抜ける事によってのみ 正しく認識される事である。リチャード・セラ自身が禅寺の庭とドナテルロやジャコメッティといった西欧の彫刻の 伝統の間には相関関係が認められないと言っている。」
ここで比較されているのは、西欧のルネッサンス以降の透視図法的な空間認識の仕方と、対する日本の時間と動き に基づいた連続的な身体的体験による空間認識である。後者はまるでアインシュタインの「空間は単に受け身の背景ではなくその場における物体の質量に応じて形を変える」 という世界の相対的な見方を先取りしているかの様である。 これをポジショニング、視界の取り方から考えてみよう。 例えばフランス流の幾何学式庭園の場合、全体を透視する 視点を確保する為にアーティストは庭の外側にポジション を置く必要がある。すると主体と世界の間に距離が生じ、世界は縁取られ主体と世界は切断される事になる。一方、 禅寺の庭は部屋の周囲に廻らされており、全体を透視する ポジションは無い。これはアーティストが庭の内側にポジションを投入して作庭したことを示している。この時、主体が庭という広がりのある世界を一挙に認識することは不可能であるため、庭の中に入り、歩きまわりながら空間を知覚することになる。私たち人間も質量により太陽と同じ く体に近接する空間をゆがめる様に、主体の空間移動に連動して、庭、世界は多様な断片を相対的に主体の前に現す。
こうしたメカニズムで主体が世界との関係性を持ち始める。
私が目指すのは身体と世界の相対的関係を結ぶ彫刻であり、その探求過程で私が多くを学んだのは内側にも空間構造を持つ庭や建築である。外観だけを持ち、袋状に閉じた 内部構造を持たぬオブジェクトとしての彫刻ではなく、空間に対し開かれ、主体に対し接続の手を持つ関係性の彫刻の実現が目標である。空間の中で私の身体と対峙させたオ ブジェクトをつくるのは避けなければならない。禅寺の庭と同じく主体が身体ごと彫刻素材の中に入り内側から制作 するというポジションを取ることで、身体から始めて彫刻 そして空間へと連続的に接続し世界との関係を結ぶことが 可能になるのではないかと考えるからである。世界の側から彫刻を見てはいけない。彫刻を外側から視覚的オブジェ クトとして見るのではなく内側から関係性として見るのだ。
2 彫刻のポジション 〜位置、機能、手段〜
別な言い方をすれば、彫刻はそうした制作ポジションか ら私が世界と関わるためのメディウムなのである。このメ ディウム/mediumとはアートの用語として使われるときは 材料や技法を指すが、そもそもは中間、媒介、媒体といった意味である。総合すれば位置と働きと手段を意味する言 葉であり、メディウムとは「AとBの間にあって、素材に形 をあたえ、AとBをつなぐ事物」といえる。ここでA=主体、 B=世界とすれば、「メディウムは主体と世界の間にあって素材に形をあたえて両者をつなぐ事物」となり、私がめ ざす彫刻の位置と働きそのものである。つまり彫刻とは主体と世界の間に介在し素材に形をあたえる手段により両者を媒介するメディウムという事物なのだ。
最初に私の制作のポジションを決定し、次に彫刻の位置、 機能を明確にした。では私の彫刻の手段は何か。どんな素材と技法で彫刻を私と世界の間に出現させるのか。ミニマ ルアートのアーチストたちが多く用いた金属、石、土、コ ンクリート、ガラスなどのマテリアルは私には固く乾いて いてハードエッジすぎる。
私が考える主体と世界をつなぐメディウムとしての彫刻 は例えれば湿った柔らかい皮膚あるいは胎児を包む羊膜だ。 羊膜という具体的なイメージを持つことになったのは、あ る体験を通してである。胎児の染色体異常を調べるため、 妊婦の羊水検査に立ち会ったことがある。妊婦の腹部に超 音波検査装置のプローブをあてながら、長い注射針を子宮 に刺して羊水を吸引するのだ。羊膜に包まれた胎児の画像 をモニターで見ながら、胎児と母体を隔てながらも透過性によってつなぐ膜の存在に強いインパクトを得たことが後 にメディウムとしての彫刻のイメージの手がかりとなった。 胎児は未だ主体性を持たず、母体という世界の一部であり、 主体ー客体が未分化な状態である。胎児はやがて子宮内の 透明な羊水から生まれ出たとたんに世界と切り離されたこ ちら側の「私」という主体となる。私が探求するのはこの主体が彫刻をメディウムとして、彫刻という羊膜を通して再び世界と関係を結ぶ試みである。(写真1)
羊膜は英語ではAmniotic Membraneだが、このメンブレンという言語は昨今では宇宙を解明する究極の理論「超ひも理論」において登場する。
2ブレンと言えば二次元的な広 がりを持った振動する膜のことである。宇宙を構成する物質の最小単位は粒子ではなく、実は振動するひもであり、 さらには振動する膜というのが最新成果だ。理論物理学者のブライアン・グリーンは「空間と時空の織物を宇宙とい う服を仕立てるための布地に見立てて思い描くことでこう した考えを説明しようとした。」 5) と述べて宇宙の説明に膜や織物という具体的なイメージを用いている。メディウ ムとしての彫刻に羊膜をイメージしたころには、私は超ひも理論の言説を知るよしも無かったが、その後、私の考える彫刻が粒子のような点的なオブジェクトではなく広がりを持つ面的な膜であることに示唆を与えてくれた。
彫刻に使う素材の質感も、世界における素材のポジションも羊膜を理想とした。先に制作中の彫刻素材とアーチストの間のポジショニングの重要性について述べたが、それ だけでなく彫刻素材の世界におけるポジションにも同様に注意すべきである。羊膜の質感とポジション。主体を包む 湿った柔らかい膜のような素材感とは。肉体と世界の間に あって肉体に一番近いポジションにある物質とは。それを 私は衣服に見いだそうとした。着古された肌着はどうだろうか。世界の一部であったはずの衣服は着られることで身 体の一部となる。衣服のポジョションは身体によって着られ、また身体を着るという身体と世界の両義的で相互依存的な「関係性のヒンジ(蝶番)」である。このヒンジが双 方を接続し、同時にメルロポンティが説いた様に「見るもの」という主体を「見えるもの」である世界へと置換する。見る主体が見られる世界でもあるという両義性による接続。
この衣服という素材を見い出したことが、ようやく彫刻を私と世界をつなぐメディウムとして出現することへと導いてくれた。ここからは以上の制作のポジション、彫刻のポジションに立って制作した作品にしたがって研究報告したい。技法についてはその中で順次述べて行くことにする。
3 自作におけるメディウムとしての彫刻の思考と実践 《Red Reflection》 〜反射する水〜 (写真2~5)
1995年夏。私はそれまで使ってきたスタジオを引き払い 材料を捨てカナダのケッベク州にあるアーチスト・イン・ レジデンスに向かった。そこでひと夏制作し、モントリオ ールのSKOLアートセンターで個展をするためだ。
素材は自分の衣服。制作のポジションは作品の中に入って作ること。この二点だけを決め日本を発ち、現地に着くとすぐに制作を開始した。与えられたスタジオは高さ3mの 白壁に囲まれた間口7m、奥行き4mほど。床はコンクリート。 日本から送っておいた衣服は全て母が捨てずにとっておいた自分の赤ん坊のころからの肌着。この肌着の羊膜を通して世界とつながる作品をつくるには何か洗礼の様な過程が必要に思われた。胎児がこの世界に出現するのに出血をともなうように、白い肌着を血の様な赤で染めることにした。それをコンクリートの床に拡げその上に座って手で縫い合わせる。作品の全体像を決定せぬままに作り始めたが、床の上の縫い合わせはすぐに私の体より大きくなり、狭いスタジオでは作品の中に入らずしては制作できぬ様になった。
やがて自分の肌着が足りなくなり現地で古着を集めては内から外へと古着を縫い合わせた。床が一杯になると壁に掛けて縫い続けた。奥行きが二軒ほどの距離では床と壁のほとんどを覆い尽くした作品の全体を視角の中に一度でおさめることは難しい。作品という庭を外側からではなく、内側から関係性としてみなければならない。
ケベックのレジデンスの西向きの窓からは大西洋に注ぐセント・ローレンスの大河が近くに見えた。夕暮れには夏の太陽が信じられないくらい長い時間をかけて空と大河を紅に染め、ゆっくりと大河の向こうの半島に沈んでいった。 海と河。水平と垂直。双方をまたいでつなぐ夕陽。そしてスタジオの床と壁をまたいでつなぐ赤く円い古着の縫い合わせ。床とつながる身体、壁とつながる視線。身体から床、 床から壁そして世界へ。床と壁がつくる水平線も身体と世 界をつなぐヒンジ(蝶番)である。作品を日本列島とアメ リカ大陸を隔てる空間である太平洋に垂直に浸してみるこ とを想像した。日本から見てもアメリカ大陸から見ても水 面には真っ赤な反射が映るだろう。日本列島の日の出は、 アメリカ大陸から見た日没である。太陽の両義性。
秋、モントリオールのSKOLアートセンターの白いペンキ を塗り直したばかりの空間を作品が真っ赤に反射していた。 作品は見る者を包み込む様に足元から始まり床を渡って壁に沿って立ち上がる。床と壁の境をヒンジに赤い半円形が 直角に向かい合う。円形の輪郭はギザギザとふぞろいで、 壁側のシュミーズやローブがつくる襞が滝の様に垂れ落ち、 床の半円形からはシャツの袖や裾が流れ出して見る者の足下にまで延びている。作品を空間から見る者にまで浸透させたいと思った。ニューヨーク経由で帰国すると日本は戦後50年の暮れを迎えようとしていた。
《Strata Cleansing Box》 〜浄化される水〜(写真6)
1997年、九州の筑豊炭田が閉山した。日本で最後の炭坑であった。テレビでも新聞でも黒く煤けた顔をして地底から上がって来きた男達の往時の姿を映していた。私はこのことを記憶に留めたかった。
この地底の黒い狩人はアルタ ミラの洞窟にバイソンを描いた人々の末裔だろうか。 低く狭い坑道の奥深くの切羽で鶴はしを振るって集められた黒い闇は、地上の子供であった私の冬の日々、目の前で赤い炎の固まりとなって見せた。黒い石が燃え尽きたのを見届けてからチリトリで集めた灰を捨てに行くのが私の役目だ った。地面に掘った穴に灰を埋めながら、やがてそれが地下へと沈み込み長い時間の後に再び石炭へと固まるものだ と私は思っていた。小学校の木造校舎に挟まれた中庭で、 そうした地下の循環する世界を空想していたのだ。その日本の地下の世界につながる坑口が閉ざされようとしていた。
私は自分の身体を地下の世界につなぐため、地面の表と裏、地上と地下の世界の反転を試みる。地面にうつ伏せ両 腕を広げる。縦横とも約180cm。この矩形を地面から地下に向かって垂直に掘り進む。石炭層まで立坑を貫くのだ。10m, 100m,1000m。やがて固く真っ黒な石炭層に突き当たる。次はその地下の立坑の虚空間を地面をヒンジとして地上に屹 立させる。そんな想像をめぐらせていた。
ところが、そんな空間が現実に知覚体験できる場所が身近にあるのに気づいた。宇都宮市大谷町である。大谷石の石切り場は地下にもあり、ビルディングが丸ごと入る様な 四角い穴が垂直に掘抜かれている。岩壁に張り付いた非常 階段を降りると地底にはローマのカラカラ浴場の遺構を思 わせる虚空間が広がっている。それが大谷石を採掘した後のネガとして残った空間だとは認識できず地上に建設され た石の建造物だと見紛うほどだ。頭上にひらける空を四角 に縁取るのが地表なのか、自分が立っている場所が地表な のか認識に戸惑う。次の瞬間、足下の固いざらついた地面 がヒンジのように反転上昇して頭上の四角い空に蓋をする ように地面をふさぐと、私は裏返しになった先程までの地 面に足をぴったりとつけたまま、真っ暗闇の地下空間にコ ウモリの様に逆さ吊りになった。さっきまで見えていた地上までの虚空間のヴォリュームがそっくりそのまま漆黒の 闇に反転した。この知覚体験が彫刻制作を担保するはずだ。 制作を開始しよう。すでに私がうつ伏せに両腕を広げた 地面の表と裏との反転はすんでいる。今回、羊膜としての彫刻を形づくる衣服は石炭化されなければならない。黒色に染めるだけでは十分ではない。石炭の色、固さ、手触り、 匂いに近づかなければならない。液化した石炭ともいえる コ−ルタールを古着に浸透させて固めることにした。縦横とも約180cmの正方形に私の身体を取り囲んだワイヤーメッシュの外側に沿ってこの古着を四方に地層のように積んで行く。その際に注意したのは仰向けに反転した私の体の稜 線に沿って積層せること。私を包む羊膜は私の形をなぞるはずだからだ。古着の羊膜は私の身体を相似形の波のように垂直方向に繰り返し、地上に反転された地下世界に向かってつなげて行く。主体の身体を内包しながら一つの彫刻 が無限に拡張されて世界と同一化するのである。そのため彫刻は連続するオールオーバーな地層の一部を任意に切り 取った断片のようでなければならない。世界に閉じたオブジェクトをつくるのは避けなければならない。
坑道はやがて水で満たされるだろう。地底の黒い狩人の 末裔を再びこの世界に受胎するには、坑道は透明な羊水で満たされなければならない。その時、この彫刻は水を浄化するための装置となる。
STRATA - 浄化箱 - 宇都宮美術の現在展 宇都宮美術館 1997年
《Hot Bed/温床》 〜アナザースキン〜(写真7、8)
2000年夏。8月16日の原爆投下の日から広島市の被爆建物で行われるヒロシマアートドキュメント2000に出品することになった。展覧会場は旧広島陸軍被服支廠である。1913年竣工の長さ94m、高さ17mの巨大な赤煉瓦倉庫が4棟残っている。不思議なめぐり合わせだ。軍服などを生産していた施設で私が衣服を素材に彫刻をつくるのだ。下見に行った。 会場は倉庫の外だが、どうしても中が見たくなって開いて いた窓から入った。肩すかしをくらわされた。中は空っぽの暗闇であった。考えれば当然のことで、原爆を落とされ たのだから建物が残っているだけで奇跡的だ。被爆直後は 臨時救護所となって多くの被爆者が絶命したという。長くは留まれない。
小さな太陽が核爆発を起こし熱線が鉄を曲げ人々の衣服 どころか皮膚までを焼き焦がしたのだ。焼けて火ぶくれになった肌はずるりとむけて爪をヒンジとして裏返しに指先から垂れた。肉体と世界のこれ以上の遭遇があるだろうか。 平和資料館で見たガラス瓶の中で世界にむけて裏返る皮膚。肉体と世界の間にあって肉体を包み保護する湿った柔らかいはずの皮膚が固く物質化して世界の一部になっていた。
結局、下見に行った広島で出会ったのは衣服でなく皮膚であった。こうして私は彫刻素材として衣服よりさらに肉体に近い距離のマテリアルを、アナザースキン(もうひと つの皮膚)を新たにつくることを試みた。それがラテックスによる身体の直接型取りである。
ラテックスは生ゴムの原料だが1960年代からエバ・ヘス、ルイーズ・ブルジョアなどによってアート作品にも使用されるようになった。素材のラテックスにそれらのアーチストが求めているのは皮膜のような触感で布や石膏を覆い隠し肉化することであり、偽装の効果である。エバ・ヘスはラテックスの皮膜そのものを展示空間に現出しようとしたが、乳液状のラテックスは絵の具と同じく空間にキャンバスの支持体なしでは塗る ことができないので、彼女も不可避的にガーゼやファイバ ーグラスなどの透き通る支持体に塗布している。
一つに私はラテックスの皮膜から邪魔な支持体を取り除 きたかった。彫刻が支持体のせいでオブジェクトになるのを周到に避け、羊膜のように主体と世界の間に介在するメディウムとして機能しなければならない。もう一つは制作 のポジショニングである。私という主体が身体ごと彫刻素 材の中に入り制作するというポジションを取ることで、彫刻はメディウムとして機能し、身体ー彫刻ー世界の関係を結べるのだ。世界の側から彫刻をつくってはいけない。
この二つの問題を同時に解決する方法をみつけた。私自 身の身体が支持体となりラテックスの皮膜のなかに入るの だ。方法はこうだ。化粧パックをするように裸の上半身に 乳液状のラテックスを刷毛塗りし乾燥と塗布を繰り返す。必要な強度になったところで蝉の羽化のように背中の部分に縦に切れ目を入れ、衣服を裏返しにするように袖口から脱衣させるのである。
《Passage》 〜水のプリズム〜
プール場の水中では空間の中では起こらぬ不思議な風景 がいつも見える。水面から差し込まれた胸から下だけの身 体。水をかく腕。顔は見えない。水中から上を見ると揺れて波打つ水面が外の風景をプリズムのように屈折、分散させて歪んだとぎれとぎれのものにしてしまう。底から水面 に上昇し仰向けに浮かぶと水面に切り取られて自分の顔や 胸が島の様に取り残され、どうしてもひとつながりに見え ない。分断される身体。
ジョージ・シーガルの展覧会を見に行きワークショップに参加した。医療用ギプスで顔を型取る。自分の身体を自 身で型取るのは無理なので妻と二人一組になって制作を始める。顔が徐々にお湯でぬらした薄いギプスに覆われる。 やがて固まると、顔がギプスの側に貼りつきギプスととも に固く物質化した。すると身体が主体を離れ世界の側に行き、消去法的に主体だけが意識の海の中に取り残され浮かび上がる様な奇妙な感覚を経験した。
プールの中でワークショップでの奇妙な体験を思い出していた。体に浮きをつけ沈まぬよう水中に体を浮かべて眼を閉じ意識を皮膚に集中する。皮膚と皮膚が触れぬよう腕を広げ意識の中で体中の皮膚を隈無くなぞってみる。次は 皮膚の浸透膜を通し体の中の水分が水中に溶け出して行くのを想像する。やがて皮膚と水との境界が消え、身体が水に溶けて主体だけが世界に浮かび上がる。ワークショップと似た様な体験だった。主体と世界を分断する身体は消え主体がむきだしで世界のただ中に漂っている。私は子宮の中の膝を抱えた胎児にもどっていた。
2002年夏、何度目かのカナダ。いつものレジデンスの白いスタジオ。この奇妙な知覚体験を作品にしようと考えた。制作と彫刻のポジションはいつも通り。前と違うのは素材 をラテックスから医療用ギプスに変えた事。そしてギプスの皮膜のなかに入るのは私と妻だ。双方の体を互いに型取 る。次第に6坪程のスタジオに私と妻のバラバラの五体が散乱し始める。スタジオのプールに腕、脚、尻、胸、頭が浮かんでいる様に見えた。スタジオの壁の外にこのギプスの皮膚を垂直に接合し、その接合面に穴を開けようと考えた。
スタジオの壁は水面に変貌し、身体を分断する。垂直の 水面にはいくつもの不定形の水たまりが浮かぶ。中をのぞこうと顔を近づけると奥行きの長い穴である。穴はぐにゃりと曲がり、起伏を成しながら奥に続く。頭を中に潜り込 ませ産道のように水面から長く突き出た穴からのぞくと、 外の世界が見えた。
私と妻の身体の皮膚が型取った産道を通して主体が世界と関係する。私の眼が私の身体の穴から世界をのぞく。世界の側から彫刻が見られてはならない。
結局、スタジオの壁に穴を開けることは許されなかった。 その代わりに高さ240cm、間口200cm、奥行120cmほどの人が通れるゲートをMDFボードで作りギプスと同じに白く塗った。これを部屋に見立ててギプスの皮膚を壁と天井に接合し、 窓にして《Passage 2002》を完成した。
《Time Layer/時間層》 〜羊水〜
私は二人の子供の誕生を通して、世界は身体の周りだけ でなく身体の内側にも存在していることを具体的に体験することになった。すでにカナダのアーチストインレジデン スで始めた医療用ギプスによる身体の直接型取りの経験が 内側の世界を彫刻として形象化する糸口となっていた。私は身体ー彫刻ー世界という連続的な関係性を今度は身体の 内側の世界へ向かって探って行こうと考えた。
もしかしたら女性は産んだ子の形を身体で記憶している のだろうか。女たちは子宮という胎児の身体の母型を持っ ている。その母型を子から母、母から祖母、祖母から曾祖 母と遡る。マトリョーシカ人形のように。気づくのは何れ の身体でさえ例外なく原始の人類イヴに始まる数えきれぬ 不可視な子宮という母型に幾重にも繰り返し型取られて来 たものであることだ。
本作品では二つの目標を立てた。ひとつは「身体の母型 =子宮」のレイヤーを積層することにより時空の溯行を形 象化すること。ただ今までの制作のように自身の衣服や皮 膚から制作を始めることはできない。なぜなら私は男であり、身体の母型としての子宮を持たないからだ。それゆえ 今回は妻の身体から始めることとした。もうひとつは彫刻 のポジションに関して。彫刻はオブジェクトではなく羊膜 のように主体と世界の間に介在するメディウムとして機能 する。作品の「身体の母型=子宮」のレイヤーを形象化す るための羊膜には、空間に融け込む透明性を持たせたかっ た。しかし常に透明なのではなく見る者が空間を移動する に連れて透明と不透明が切り替わること。それにより主体 と世界の相互依存的な関係性が明確に知覚できるはずだ。 そうした素材が必要だ。空間との境界を曖昧にし、羊膜と しての彫刻を空間という織目の中に潜ませる。閉じたオブ ジェクトにならずに、見る者が空間を移動するに連れて出 現と消滅をスウィッチする彫刻。しかし衣服やラテックス やギプスではこうした視覚効果をもたらすことはできない。
長い試行錯誤の結果、段ボールを素材とすることにした。 私は段ボールの断面が波形リブに対して真正面から見たときに限り、透き通って見えることに気づいていた。見る方 向によってリブの中の空間が見る者に対して開き、閉じるのだ。これが見る物に対し透明と不透明を切り替えるように機能するはずだ。問題は段ボールでどうやって子宮のレ イヤーを形象化するかだ。自分に課した制作のポジションは妻の身体から始めることだ。任意の形態を段ボールでつくることは論外だ。段ボールで妻の身体を型取る方法を考 えねばならない。
まず立ち姿の裸の全身を外科用ギプスで型取った原型を つくる。それを垂直方向に5mm間隔で全部位を輪切り状にス ライスする。次にこの断面を段ボールにトレースして約700 枚の断面図を作る。このとき各々一つの断面図から年輪のように同心円状に15mmずつ内側に取れるだけ幾重かの相似 形を描き、その線に沿って段ボールを切り抜く。切り抜か れた段ボールを一段ごと接着しながら原型どおりの身体の 形に積層する。そうしてひとつの全身原型からマトリョー シカ人形のように入れ子状に数個の相似形の全身像が出来上がる。
完成してみると彫刻は外側と内側を同時に見せて いることがわかった。段ボールを積層した表面はメッシュに近い表象をもたらしモアレを起こしている。この作品は かつてないほど儚い。
2008年春。渋川市美術館の展示室の空間もまた室内プー ルのようだ。3mの壁は白く、南側の窓と北側の入り口はフ ロストガラスである。天井はプラスターボードで床はリノ リウムだ。この室内プールのような空間を水中に見立て、 作品を十数体浮かばせようと考えた。各々がひとつの原型 から母と胎児のように入れ子状につくられている。段ボー ルのメッシュの表象を持つ作品は内側もすぐに水で満たさ れる。南側のガラス窓を背に、作品は表面のメッシュの浸 透膜からにじむように水を呼吸しながら、わずかに揺らいでいる。プールは矩形の子宮へと変貌する。
こうして見るものは展示室へ入ると子宮の中で作品と共 に羊水に浸ることになる。そして見るものは入れ子状の作 品の一つとなって見られるものとなる。見るものは外の世 界から作品を眺めるのではなく、展示室の羊水の中に浸り 入る作品として見られるポジションをとることによって、 眼の前の作品の編み目のなかに取り込まれるのだ。そして時空の中で、子宮という身体の母型に型取られた「入れ子」 に連なる一人の胎児となる。
おわりに
以上、1、私の制作のポジション、2、彫刻のポジション に基づいて、3、制作した作品から具体例として五作品を 揚げて述べてきた。その全作において私がめざしたことを 簡潔に言えば「身体を型取った、古着、ラテックス、ギプ ス、段ボールを積層して、見るものがその中に入り内と外、 身体と空間、主体と世界を関係づける彫刻をつくること。」 である。しかし主体と世界は簡単にはつながらない。そのためのメディウム=糊が彫刻なのだ。私が自作を述べる中 でしばしばヒンジ(蝶番)という言葉を持ち出したが、ここに両者をつなぐための私の着想がある。この関係性のヒ ンジにより主体、彫刻、世界、のポジションを反射し、反転し、反復し、倒置し、裏返し、入れ子にしたのである。 そうすることで主体と世界の両義的で相互依存的な関係を彫刻化しようとしたのである。
註
1) Mark C. Taylor,“ Learning Curves,”in Richard Serra: Torqued Ellipses (Dia Center for the Arts, New York, 1997), p.45.
2) Lynne Cooke and Michael Govan,“Sol Lewitt,”in Dia: Beacon (Dia Art Foundation, New York, 2003), p.196.
3) Interview with Lynne Cooke, in Richard Serra, Writings, Interviews (University of Chicago Press, Chigago, 1994), pp.257-258.
4) 前掲書 1),p.34.
5) ブライアン・グリーン著 『エレガントな宇宙』 林一・林大訳、草思社、2001年、p.500